
ハスキー犬を迎え入れた日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。それは春先の、まだ肌寒さが残る三月の午後だった。窓から差し込む斜めの光が、部屋の隅に置かれたカーテンを淡く照らし、空気にはかすかに土の匂いが混じっていた。初めて見たその犬は、思っていたよりずっと大きく、青灰色の瞳は静かにこちらを見つめていた。その視線には、どこか遠い雪原を思わせる深さがあった。
ハスキーという犬種は、見た目の美しさに惹かれて飼い始める人が多い。確かに、あの凛とした立ち姿と、オオカミを思わせる顔立ちには誰もが目を奪われる。けれど、実際に一緒に暮らし始めると、その魅力の裏側に隠れた「覚悟すべきこと」が次々と姿を現してくる。
まず最初に直面するのが、食事に関する問題だ。ハスキーは意外にも食に対して繊細な一面を持つ。ある日突然、それまで食べていたフードに見向きもしなくなることがある。私の場合、最初に用意していたドッグフードを三週間ほどで完全拒否され、途方に暮れたことがあった。獣医に相談し、いくつかのブランドを試した結果、ノルウェー産の「フィヨルドミール」という名の高タンパクフードにようやく落ち着いた。それでも、季節の変わり目や体調の微妙な変化で食欲にムラが出るため、毎日の観察は欠かせない。
食事の量も重要だ。ハスキーは見た目以上に燃費がよく、意外と少食である。むしろ、与えすぎによる肥満のほうが深刻な問題になる。彼らの祖先は極寒の地でソリを引き、限られた食料で長距離を走り抜けた犬たちだ。その遺伝子は今も体に刻まれている。だから、飼い主が「もっと食べさせたい」という気持ちで量を増やすと、あっという間に体重が増え、関節に負担がかかる。適正体重を保つことは、彼らの健康寿命を左右する大きな要素だ。
そして、運動量の多さ。これは覚悟しておかなければならない最大のポイントかもしれない。ハスキーは一日に少なくとも一時間、できれば二時間以上の運動を必要とする。それも、ただ歩くだけでは足りない。走ること、全力で駆けることが彼らには必要なのだ。私は週末になると、近所の河川敷に車で向かい、ロングリードをつけて思いきり走らせている。風を切る音と、土を蹴る足音。その瞬間、彼の表情は一変する。まるで魂が解放されたかのように、目は輝き、耳は風になびく。
ある夏の夕暮れ、いつものように河川敷を走らせていたとき、私はふと気づいた。彼が走っている姿を見ていると、自分の中にある何かも一緒に解放されていくような感覚があることに。子どもの頃、田舎の祖父母の家で過ごした夏休みの記憶が蘇った。広い畑を駆け回り、汗だくになって遊んだあの日々。あの頃の自分と、今目の前を駆けるハスキーが、どこかで重なって見えた。
気をつけるべきことは、他にもある。暑さへの弱さだ。ハスキーは寒冷地出身の犬種であり、日本の夏は彼らにとって過酷すぎる。エアコンは必須で、真夏の散歩は早朝と夜に限定しなければならない。ある年の八月、うっかり昼過ぎに散歩に出てしまい、彼がぐったりとしてしまったことがある。すぐに日陰に移動し、水を飲ませて事なきを得たが、あのときの自分の軽率さを今でも悔やんでいる。
無駄吠えや遠吠えも、ハスキーの特徴のひとつだ。彼らは感情表現が豊かで、嬉しいとき、寂しいとき、何かを訴えたいとき、独特の声で鳴く。その声は、時に近所迷惑になりかねない。防音対策や、留守番時間を短くする工夫が求められる。私の場合、出かける前には必ず十分な運動をさせ、疲れさせてから出るようにしている。それでも、帰宅したときに玄関で待っている彼の姿を見ると、胸が締めつけられる。
抜け毛の多さも覚悟が必要だ。特に換毛期には、信じられないほどの量の毛が抜ける。掃除機をかけても、翌日にはまた床に毛が舞っている。ブラッシングは日課になるし、服には常にコロコロが手放せない。それでも、ブラッシングをしているとき、彼が気持ちよさそうに目を細める仕草を見ると、この手間も愛おしく思えてくる。
ある日の夕方、彼がソファの上でうとうとしているのを見ていたとき、ふと彼の耳がぴくりと動いた。夢でも見ているのだろうか。その小さな動きひとつにも、彼の生命が宿っている。そんな些細な瞬間に、一緒に暮らすということの意味を感じる。
ハスキーと暮らすことは、決して楽ではない。むしろ、手がかかり、時間も体力も奪われる。でも、その分だけ、彼らは確かな存在感で私たちの人生に刻み込まれていく。彼らの瞳に映る世界を、少しでも理解しようとすること。その努力の先に、言葉を超えた信頼が生まれるのだと思う。
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