夜中に突然「自分って何者だっけ」と思ってしまう人へ

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夜中の2時に目が覚めて、ふと思ってしまった。「自分って何者だっけ」って。

こういうこと考え始めると、もう眠れなくなるんだよね。スマホを見ても気が紛れないし、かといって何か生産的なことをする気力もない。ただベッドの中で天井を見つめながら、自分という存在の輪郭がぼんやりしていく感覚に襲われる。会社では一応役職もあって、家族もいて、友達だっている。でも本当にそれが「自分」なのかって言われると、なんだか借り物の服を着ているような気分になってくる。

私が最初にこの感覚を味わったのは、確か大学3年の秋だったと思う。就活が始まる前で、周りがみんな「自己分析」とかいうのをやり始めた時期。カフェで友達が「あなたの強みって何?」みたいな質問シートを真面目に埋めているのを横目で見ながら、私はアイスコーヒーのストローをくわえたまま固まってた。強みって何だよ。弱みならいくらでも出てくるけど。

自分探しって言葉、昔は流行ったよね。今でも時々耳にするけど、あれって結局何を探してるんだろう。インドに行けば見つかるのか、それとも高い自己啓発セミナーに通えば答えが出るのか。私の友人は実際にバックパッカーでアジアを回ったけど、帰ってきたら「蚊に刺されまくっただけだった」って笑ってた。

でも不思議なもので、「自分が何者か」なんて考えなくていい瞬間もある。例えば、めちゃくちゃ美味しいラーメンを食べてる時とか、好きな音楽を聴いてる時とか、子供が笑ってる顔を見てる時とか。そういう瞬間って、自分の存在を疑う余地がないというか、ただそこにいることが自然すぎて、わざわざ「自分とは」なんて考えない。

そういえば昔、深夜ラジオで誰かが言ってたんだけど。人間って、他人の目を通してしか自分を認識できないらしい。鏡がなければ自分の顔も見られないし、他人からの反応がなければ自分がどんな人間かも分からない。つまり「自分」って、実は他人との関係性の中にしか存在しないんじゃないかって。それを聞いた時、なんだか少しホッとした。自分の中を掘り下げても答えが出ないのは、そもそも答えがそこにないからかもしれない。

最近読んだ本に「アイデンティティは流動的なもの」って書いてあった。固定された「本当の自分」なんて最初から存在しなくて、状況や関係性によって常に変化し続けるものだって。朝の自分と夜の自分が違うのも、仕事中の自分と家での自分が違うのも、全部本当の自分で、どれかひとつを選ぶ必要なんてないんだと。

ただ、それでも時々は立ち止まって考えたくなる。このまま流されていていいのかって。毎日同じ電車に乗って、同じ仕事をして、同じような会話をして。気づいたら40代になっていて、50代になっていて、結局自分が何をしたかったのか分からないまま終わってしまうんじゃないかって。

前に会社の先輩が言ってた。「自分探しなんてやめて、自分作りをしろ」って。最初は意識高い系の説教かと思ったけど、よくよく聞いたら意外と腑に落ちる話だった。探すってことは、どこかに既に答えがあるって前提じゃん。でも実際は、毎日の選択の積み重ねで自分を作っていくしかないんだって。今日何を食べるか、誰と話すか、どんな本を読むか。そういう小さな選択が、少しずつ自分という形を作っていく。

コンビニで夜食を買う時、私はいつも同じおにぎりを選んでしまう。ツナマヨ。別に一番好きってわけじゃないんだけど、なんとなく安心するから。こういう小さな習慣の集まりが、もしかしたら「自分らしさ」なのかもしれない。大げさな自己定義じゃなくて、ツナマヨを選んでしまう自分、みたいな。

結局のところ、夜中に「自分って何者だっけ」と思ってしまうのは、たぶん悪いことじゃない。むしろ健全なのかもしれない。疑問を持たずに生きていくより、時々立ち止まって不安になる方が、人間らしいというか。

答えなんて出ないけど。

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