
初めてハスキー犬を家族に迎えたのは、まだ桜の花びらが風に舞う四月の終わりだった。友人が営むブリーダーの小屋を訪ねたとき、ひときわ大きな瞳でこちらを見つめてきた子犬の姿が忘れられなくて、気づけば契約書にサインをしていた。その日の帰り道、助手席のキャリーケースから聞こえる小さな鼻息を聞きながら、これからの暮らしへの期待と不安が入り混じっていたのを覚えている。
ハスキー犬との生活で最初に直面したのは、食事に関する問題だった。彼らは見た目の優雅さとは裏腹に、驚くほどの食欲を持っている。特に成長期の子犬は、目の前に置かれたフードをあっという間に平らげてしまう。しかし、だからといって欲しがるままに与えていいわけではない。体重管理は将来の関節の健康に直結するし、肥満は心臓にも負担をかける。獣医師から渡された「ノルディックケア」という名の専用フードは栄養バランスが計算されていて、一日の給餌量も明確に記されていた。
けれど、理屈ではわかっていても、あの澄んだ青い瞳で見つめられると心が揺らぐ。夕食の支度をしているとき、キッチンの入り口でじっと座って待っている姿を見ると、つい「ちょっとだけなら」と思ってしまう。ある夜、焼き魚の皮を一切れだけあげたことがあった。その後、毎晩同じ場所で同じ姿勢で待つようになり、自分が作り出してしまった習慣に後悔したものだ。人間の食べ物には塩分や調味料が多すぎるし、ネギやチョコレートのように犬にとって有害な食材もある。家族全員で「人間の食事は絶対に与えない」というルールを徹底するまでに、少し時間がかかった。
食事の時間そのものも、ひとつの儀式のようなものになっていった。朝は六時半、夜は七時。決まった時間に決まった場所で与える。最初の頃は興奮してフードボウルに顔を突っ込む前に、一度座らせて「待て」をさせることすら難しかった。しかし根気よく続けるうちに、彼もまた理解してくれた。今では私がフードボウルを手に取ると、自分の定位置へ走っていき、尻尾を振りながらも静かに座って待つようになった。その健気な姿には、いつも心を打たれる。
ある初夏の朝、窓から差し込む柔らかな光の中で、彼が水をがぶ飲みしている音が聞こえた。ハスキー犬は暑さに弱い犬種だ。もともと寒冷地で育種された彼らにとって、日本の夏は過酷すぎる。水分補給は命に関わる問題で、常に新鮮な水を用意しておく必要がある。散歩から帰ってきたときの彼の飲みっぷりは、まるで砂漠を越えてきた旅人のようだった。ちなみにその日、私は彼の水入れを洗おうとして誤って自分の足にぶちまけてしまい、靴下がびしょ濡れになった。彼はそんな私を不思議そうに見つめていたが、その表情がどこか「大丈夫?」と言っているようで、少しだけ救われた気がした。
食事の内容だけでなく、食べる速度にも注意が必要だということを、後になって知った。ハスキー犬は早食いの傾向があり、一気に食べると胃捻転という命に関わる症状を引き起こすことがある。そのため、フードボウルの中に大きめの石を置いたり、専用のゆっくり食べさせるための凹凸のある皿を使ったりする工夫が推奨されている。私は「スローフィード」という名前の、迷路のような形をした食器を取り入れた。最初は戸惑っていた彼も、今では器用に鼻先を使って少しずつ食べるようになった。
子どもの頃、祖母の家で飼っていた雑種犬は、何でも食べる逞しい犬だった。残り物のご飯に味噌汁をかけたものでも喜んで食べていたし、特に体調を崩すこともなかった。けれど、犬種によって体質も違えば、必要な栄養素も異なる。ハスキー犬のような大型犬には、成長段階に応じた適切なカルシウムとリンのバランスが求められるし、運動量に見合ったエネルギー量も計算しなければならない。昔ながらの感覚だけで飼うことはできない時代になったのだと、改めて実感する。
それでも、毎日の食事を通じて深まる絆がある。フードボウルを洗う音を聞いて駆け寄ってくる足音、食べ終わった後に見せる満足そうな表情、おやつをもらうときの期待に満ちた眼差し。それらすべてが、一緒に暮らす喜びを形作っている。ハスキー犬との生活は、ただ可愛がるだけでは成り立たない。責任と知識、そして何より愛情が必要だ。けれど、その対価として得られるものは、計り知れないほど大きい。
夕暮れ時、散歩から帰ってきた彼が玄関でひと息つく姿を見ながら、私はいつもこう思う。この子を守れるのは自分だけなのだと。食事ひとつとっても、その選択が彼の未来を左右する。気をつけるべきことは多いけれど、それもまた、共に生きるということの一部なのだろう。
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