
夏の朝、午前六時の駐車場はまだひんやりしていた。アスファルトの上にうっすら残る夜露の気配と、どこかから漂ってくる草の青い匂い。そんな空気の中で、うちのハスキー犬・シロは後部座席のドアが開くなり、まるで自分が運転手であるかのような堂々とした顔で乗り込んだ。今日は片道約四時間の遠距離移動。目的地は長野の山の中にある「ノルドヴァン高原」というペット可の宿だ。
ハスキー犬との車移動は、正直なめてはいけない。
シベリアンハスキーはそり引き犬として長距離移動に慣れており、車の振動や移動そのものに抵抗が少ない傾向がある。ただし、寒さに強い反面、暑さには弱いため、夏場の温度管理は必須だ。
それを知ったのは、初めてシロと遠出した去年の夏のこと。エアコンをつけていたつもりが設定温度を28度にしたまま走り続けてしまい、後部座席のシロが口を大きく開けてハアハアと荒い息をしていた。慌てて路肩に停めて確認したとき、あの罪悪感は今でも忘れられない。
夏に車で移動するときは冷房をつけ、温度は25度くらいに設定してあげると快適そうだ。人間からすると少し寒いくらいがちょうどいい。
出発前の準備が、旅の質を決める。
まず食事のタイミング。乗車直前に食べさせると胃が揺れて気分が悪くなりやすい。シロの場合、出発の二時間前に朝ごはんを済ませるのがルーティンになった。水は少量こまめに。そしてクレートの準備。
万が一の急ブレーキや急ハンドルでも全身が囲われているハードクレートが、一番安心・安全だ。
最初はクレートを嫌がっていたシロも、中に好きなブランケットを敷いてからはすんなり入るようになった。
走り出してしばらくすると、シロは後部座席でうとうとしはじめた。耳がぴくぴくと動いて、何かを夢の中で追いかけているらしい。その耳の動きが、なんとも愛おしい。青いアーモンド形の瞳が半分閉じていく様子を、バックミラー越しにちらちらと確認しながら走る。ハスキーのあの瞳は、何度見ても息をのむ美しさだ。
わんちゃんと車でお出かけする時は、一〜二時間に一回は休憩をとることが大切だ。トイレ休憩を挟んだりお水を飲ませたりと、こまめに休憩をとってあげよう。最近では、高速道路のサービスエリアやパーキングエリアにお散歩コースやドッグランが設置されている場所もある。
今回は中央道の談合坂サービスエリアで一度停まった。シロをリードにつないで芝生の上を歩かせると、それまでの眠そうな顔が嘘のようにシャキッとなる。鼻をひくひくさせて、知らない場所の匂いを全部吸い込もうとするみたいに。
ちなみに、走行中に車内でシロを自由にさせることは絶対にしない。
移動中に車内でわんちゃんを自由にさせていると、足元に潜り込んだり顔を舐めたりして運転に集中できなくなり、思わぬ事故につながる可能性がある。停車中以外に車内でわんちゃんを放す行為は道路交通法違反の可能性もある。
大型犬であるハスキーが動き回ったら、車内はあっという間にカオスになる。それは想像するだけで十分だ。
もうひとつ気をつけたいのが、車内の匂い。
人間にはさほど感じない車の芳香剤や消臭剤、ガソリンのニオイも、嗅覚に優れた犬にとっては強い刺激になる。芳香剤などの香りが強いものは使用を避け、こまめに換気することも車酔い防止につながる。
出発前日、シロのために車内の芳香剤をすべて外した。代わりに少し窓を開けて走ると、山に近づくにつれて風の温度が変わっていくのがわかった。針葉樹の涼しい香りが車内に流れ込んでくる瞬間、シロがふっと鼻を持ち上げた。その仕草が、なんだかとても嬉しかった。
四時間の車移動は、準備さえ整えれば怖くない。むしろ、道中のあれこれがそのまま旅の記憶になる。談合坂の芝生で転げ回るシロの姿も、バックミラー越しに見えた寝顔も、全部ひっくるめて「旅」だと思う。ハスキー犬との遠距離移動は、手間がかかる分だけ、到着したときの喜びがふたりぶんになる。それがたまらなく好きだ。
ノルドヴァン高原の宿に着いたのは、昼過ぎの柔らかい光の中だった。シロは車から降りた瞬間、高原の風を全身で受けて、しばらくそのまま動かなかった。何かを感じているのだろう。その背中を見ながら、また来年もここに来ようと、静かに思った。
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