
空が高くなった。
九月の末というのは不思議な季節で、夏の名残がじわりと残っているくせに、風だけがもう秋の顔をしている。午後二時を少し回ったころ、玄関のドアを開けると、外の光がどっと押し寄せてきた。いい天気だった。文句のつけようのない、眩しくて清潔な青空。思わず目を細めながら、リードを手に取る。するとすでに玄関で待ち構えていたコタが、全身でよろこびを表現し始めた。
コタはシベリアン・ハスキー犬、三歳のオス。グレーと白のまだら模様に、左目だけが空色で右目が琥珀色という、いわゆるオッドアイの持ち主だ。この瞳を見るたびに、どこか遠い北の大地のことを想像してしまう。コタ自身はそんなロマンなど一切関係なく、ただ「はやく行こう」と前脚をばたつかせているだけだけれど。
近所の緑道「ソラミチ公園通り」に入ると、舗装された道の脇にケヤキが並んでいて、葉の端がほんのり黄みを帯びていた。まだ完全な秋色ではない。緑と黄色のあいだで迷っているような、あの中途半端な美しさ。踏みしめるたびに乾いた葉のかすかな音がして、土と草の混じった匂いが鼻をかすめる。コタはそれを全力で嗅ぎ回りながら、グイグイとリードを引っ張った。
散歩というより、引っ張られている。これが正直なところだ。
ハスキー犬はもともと橇を引くために生まれた犬種で、その本能は今も健在らしい。コタの場合、橇の代わりに私が引っ張られている。どちらが散歩をリードしているのか、三年経ってもまだよくわからない。
それでも、こういう時間が好きだと思う。子どものころ、実家で飼っていた柴犬のクロと歩いた土手の記憶が、ふとよみがえることがある。あのころは自分が引っ張る側だったのに、と苦笑いしながら。あの土手も、秋になると風が冷たくて、川面がきらきらしていた。コタと歩いていると、なぜかそういう遠い記憶が蘇ってくる。犬というのはそういう力を持っているのかもしれない。
公園の中ほどまで来たとき、ベンチに座っていたおじいさんがコタに気づいて、ゆっくりと手を差し伸べてくれた。コタはすぐさまその手に鼻を押しつけ、しっぽをぐるぐると回転させた。ハスキーのしっぽはふさふさで、回るたびに空気をかき混ぜる。おじいさんが「きれいな目をしとるね」と言った。そうなんです、と答えながら、私もまたその瞳を覗き込んだ。左目の空色が、今日の青空と溶け合いそうなほど澄んでいた。
少し先の水飲み場で、コタに水を飲ませた。ぴちゃぴちゃという音が静かな空気に広がって、なんだか妙に心地よかった。日差しは温かいが、首筋を撫でる風はひんやりしている。これがいい天気というものだ、と改めて思う。暑くもなく、寒くもなく、ただ気持ちいい。
帰り道、コタが急に立ち止まった。何かの匂いを嗅ぎつけたらしく、鼻をぐいぐいと地面に押しつけてびくともしない。五分待った。まだ動かない。仕方なく「コタ、行くよ」と声をかけると、ゆっくりと顔を上げてこちらを見た。その表情が、なんとなく「もう少しだけ」と言っているように見えた。——もちろん、私の完全な妄想である。
結局、その場にさらに三分ほど立ち尽くした。
夕方近くになると、空の色がすこし橙色を帯びてきた。コタの白い毛並みがその光を受けて、やわらかく輝いて見える。リードを握る手に、かすかな温もりが伝わってくる。犬と歩くというのは、ただ運動するだけじゃなくて、こういう瞬間を積み重ねることなのかもしれない。
ハスキー犬との散歩は、いつも予定通りにはいかない。立ち止まり、引っ張られ、知らない人に話しかけられ、気づけば一時間が過ぎている。それでいい、と思う。今日もいい天気だった。それだけで、十分すぎるくらいだ。
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