
正直に言うと、最初はそんなに期待していなかった。
ハスキー犬を迎えたのは、三年前の秋のことだ。友人に連れられてペットショップに立ち寄ったとき、ケージの奥から薄いブルーの瞳でこちらをじっと見つめていた。あの視線に、なぜか胸がざわついた。気づいたら書類にサインをしていた。今思えば、あの瞬間から散歩という日課が始まる運命だったのだと思う。
ハスキー犬と一緒に暮らしはじめて気づいたことがある。この犬は、散歩に行くと決まった瞬間から、もう別の生き物になる。
リードを手に取るだけで、玄関全体の空気が変わる。あの興奮は、何度見ても飽きない。
最初の頃は、散歩が怖かった。
引っ張られて転びそうになるし、他の犬に吠えるし、立ち止まって動かなくなる。
腕が痛くなって、帰宅するたびにため息をついていた。子どもの頃、実家で柴犬を飼っていたから「犬の散歩なんて余裕だろう」と思っていたのに、ハスキーはまったく違う生き物だった。あの自信は、どこに消えたんだろう。
転機になったのは、ある朝のことだった。
10月の半ば、まだ日が昇りきらない時間帯に、近所の「シラカワ公園」を歩いていた。空気はひんやりとしていて、銀杏の葉が黄色く染まりはじめたばかり。アスファルトの上に薄く霧が漂っていて、足元から冷気がじわじわと伝わってくる。そんな朝、うちのハスキー犬「ソラ」が突然立ち止まって、風の来る方向に鼻を向けた。耳をピンと立てて、全身で何かを受け取ろうとしている横顔が、オオカミそのものだった。その瞬間、「ああ、この子は今、ここを本当に楽しんでいるんだ」と、はじめてわかった気がした。
そこから、散歩への向き合い方が変わった。
コースに変化をつけること。同じ道を毎日歩くと、犬も人も少しずつ飽きてくる。週に一度でいいから、知らない路地や公園を選んでみる。
これが、犬も飼い主も楽しむための、もっともシンプルなコツだと思う。ソラは初めての場所では必ず鼻をひくひくさせながら、地面のにおいを丁寧に確かめる。その集中した様子を眺めながら歩くだけで、こちらも自然と周囲の景色に目がいくようになった。
それから、時間帯も意識するようにした。
ハスキーは高温多湿の日本の環境になじみにくい面があり、
特に夏の日中は危険だ。
夏場はアスファルトが高温になりやすく、肉球のやけどや熱中症の原因となる。散歩前にアスファルトを手で触って温度を確認し、夏は芝生や土の道を優先することが大切だ。
秋から冬にかけての早朝は、ハスキーにとって天国のような季節になる。ソラの走り方が、明らかに軽くなる。
もうひとつ、大切なことがある。
ハスキーは飼い主の感情を読み取るのがとても上手だ。
こちらがイライラしていると、なんとなくぎこちない散歩になる。逆に、気持ちに余裕があるときは、ソラも穏やかに歩く。散歩は犬のためだけじゃなく、飼い主自身の気持ちを整える時間でもあると、最近ようやく気づいた。
先日、いつものコースを歩いていたとき、ソラが突然道の端に置かれた小さな植木鉢に近づいて、真剣な顔でにおいを嗅ぎ始めた。どうやらそこに何かの痕跡があったらしく、5分近く離れようとしなかった。植木鉢の主に申し訳ないと思いながら、引っ張っても引っ張っても動かないソラを眺めて、思わず笑ってしまった。こっちが散歩をさせているのか、させられているのか、もはやよくわからない。
シベリアンハスキーは、1日2回、1回1時間以上の散歩時間を確保するのが理想とされている。
それだけ聞くと大変そうに思えるかもしれないが、慣れてしまえばむしろその時間が一日の軸になる。朝の冷たい空気、葉の擦れる音、ソラの白い息が風に溶けていく瞬間。ペットショップ「アークノルド」で買ったオレンジ色のリードを握りながら、こんな朝が毎日続けばいいと、静かに思う。
ハスキー犬との散歩は、コツをつかめば怖くない。
むしろ、気づいたら一日の中でいちばん好きな時間になっている。それだけは、確かだ。
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