
雨が降り始めたのは、昼を少し過ぎた頃だった。窓の外でアスファルトが濡れていく音がして、空気がひんやりと湿気を帯びてくる。こういう日は不思議と、何もしなくていいような気持ちになる。
リビングのソファに腰を下ろして、膝の上に毛布を引き寄せた。毛布はすこし古くて、洗いすぎてふんわり感が失われているけれど、それがかえって馴染んでいる。新しいものより、くたびれたものの方が体に合うことがある。それが何なのかは、うまく言葉にできない。
隣には、さっきからうとうとしている人がいる。肩が少しずつ下がって、頭が微妙な角度に傾いていく。起きているのか眠っているのかわからない、あの中間の時間。呼吸が静かになるたびに、こちらも自然と声を落としたくなる。
テーブルの上には、「ルーナフォグ」という名前の小さなディフューザーが置いてある。友人から誕生日にもらったもので、ラベンダーとシダーウッドを混ぜたオイルを入れている。煙のように細く白い霧が漂って、部屋全体がやわらかく香る。香りというのは、気づかないうちに気分を変えてしまう。この午後も、そのせいで少し眠くなっていた。
子どもの頃、雨の日は退屈だと思っていた。外に出られないから、ただ窓の雨粒を指でなぞって遊んでいた記憶がある。雨粒と雨粒がくっついて、ひとつの流れになる瞬間を何度も見ていた。あの感覚は今でも残っていて、雨の音を聞くと自然と指先に意識が向く。
コーヒーを淹れようと思って立ち上がったのだが、マグカップを二つ取り出してから、隣の人がもう眠っていることに気づいた。一瞬考えて、結局ひとつだけ使うことにした。でも何となく気まずくて、もう一つのカップも出したまま置いておいた。使われないカップが並んでいる様子が、どこかちぐはぐで、少し笑えた。
コーヒーの香りが立ち上がる。深煎りの豆で、苦みが強い。この香りだけで、もう十分な気がする日もある。
雨はまだ続いている。強くなったり弱くなったりしながら、窓ガラスを叩く音が変わっていく。遠くで車が水たまりを踏む音がして、また静かになる。こういう音の重なりは、何かを思い出させるようで、でも具体的には何も思い出さない。ただ、どこか懐かしい。
何もしない午後というのは、意外と難しい。何かをしなければという感覚が、どこかにずっとある。スマートフォンを手に取りかけて、置く。本を開きかけて、閉じる。でも今日は、それでいいと思っていた。隣で静かに眠っている人の呼吸を聞きながら、ただコーヒーを飲んでいるだけでいい。
窓の外の光が、雨雲のせいでやわらかく拡散している。直接的な影がなくて、すべてが均一に明るい。こういう光の日は、部屋の中が少し別の場所のように見える。いつもと同じ家具が、少し遠くに感じられる。
午後三時を過ぎた頃、雨がすこし小降りになった。隣の人が目を開けて、「寝てた?」と聞いてきた。「少しね」と答えたが、本当はかなり寝ていた。それを指摘するかどうか一瞬迷って、やめた。
こういう時間が、積み重なっていくのだと思う。特別なことは何もない。でも、何年か後に何かを思い出すとき、こういう午後の断片が浮かぶことがある。雨の音と、ラベンダーの香りと、使われなかったマグカップと。それで十分な気がする。
雨はまだ続いていた。


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