
十月の朝は、空気がすこし違う。窓を開けると、ひんやりした風が頬をかすめて、どこかの金木犀がほのかに香ってくる。そういう朝に、うちのハスキー犬・シロは決まってリビングの陽だまりに寝そべって、目だけでこちらを追いかけてくる。体は動かさない。でも、しっぽだけがゆっくりと左右に揺れている。
シロを迎えたのは、娘がまだ三歳のころだった。
正直なところ、最初はかなり迷っていた。ハスキー犬というと、オオカミのような鋭い目つきで、なんとなく「怖そう」という印象を持っていた人は多いと思う。わたしもそのひとりだった。でも調べれば調べるほど、
実際のシベリアンハスキーは攻撃性が低く、陽気で人懐っこい性格
だということがわかってきて、少しずつ気持ちが傾いていった。それでも踏み切れなかったのは、子どもへの影響が心配だったからだ。
夫は最初から乗り気だった。ある夜、ダイニングテーブルで資料を広げながら、「大丈夫だよ」とだけ言ってコーヒーカップをそっとわたしの前に置いた。その仕草がなぜか妙に頼もしくて、気がついたら「じゃあ、一度だけ会いに行こう」と口にしていた。
ブリーダーの元を訪ねた日のことは、今でも覚えている。埼玉の外れにある「ノースウィンドケネル」という小さな施設で、木の香りがする広い部屋に通された。そこにいたのが、まだ生後二ヶ月のシロだった。娘が恐る恐る手を伸ばすと、シロはためらいもなくその小さな手をぺろりと舐めた。娘は「つめたい!」と言いながら、大声で笑った。
シベリアンハスキーは、人にも他の犬にもフレンドリーで、社会性の高い性格
だと聞いていたけれど、あの瞬間に百の言葉よりも雄弁に伝わった気がした。
家に連れて帰った最初の夜、シロはケージの中でくんくんと鳴き続けた。わたしは床に寝転んで、指をケージの隙間に差し込んで、ずっとそこにいた。冷たいフローリングの感触と、シロの鼻息の温かさが、不思議なほど対照的だった。あのとき、なんとなく「ああ、家族が増えたんだ」と実感した。
それからの日々は、穏やかだった。毎朝の散歩は夫が担当して、夕方はわたしと娘がリードを持つ。
朝の散歩はお父さん、夕方はお母さん、というように無理のない範囲で分担すれば、誰かに負担が偏ることもない
、とどこかで読んだことがあったけれど、うちでは自然とそうなっていた。
娘が五歳になったころ、シロは娘の隣で眠るようになった。娘がうとうとしはじめると、シロも目を細めて、静かに呼吸を合わせるようにしていた。
ハスキーを見つめていると、思わず心を奪われる
という感覚は、こういう瞬間のことを指すのかもしれない。
ただ、正直に書いておくと、楽なことばかりではない。抜け毛はすさまじい。ソファのクッションがシロの毛で白くなっていることに気づかず、来客にそのまま座らせてしまったことがある。お客さんが帰り際に背中を見せたとき、夫とわたしは目が合って、声を出さずに笑った。あれはちょっとした失敗談として、今でも食卓でたまに話題になる。
シベリアンハスキーは群れで生活する本能が強く、家族の一員として自然に溶け込む
という言葉は、本当だと思う。シロはいつの間にか、この家の空気になっていた。娘の泣き声に反応して駆け寄ったり、夫が帰宅するとドアの前で待ち構えていたり。存在が、生活の中にすっかり織り込まれている。
これからハスキーを迎えようか迷っている人に、ひとつだけ伝えるとしたら、「思っているより、ずっと穏やかです」ということだ。
外見のワイルドさと、内側のやさしさのギャップ。それがハスキー犬という動物の、一番の魅力だとわたしは思っている。
人懐っこく、子どもにも優しい
。その言葉は、うちの家族が三年かけて実感してきたことと、ぴたりと重なる。
十月の朝、金木犀の香りの中で、シロはまだ陽だまりにいる。しっぽが、また静かに揺れている。
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