
七月の朝、まだ空気がひんやりとしている早朝五時半。カーテンの隙間から薄い光が差し込む中、わたしはリュックにドッグフードと水筒を詰め込みながら、リビングで大きな体を丸めているコタロウのことを眺めていた。シベリアンハスキー犬というのは、どうしてこうも寝姿が堂々としているのだろう。枕を奪って熟睡する姿は、まるでこの家の主は自分だと言わんばかりだ。
その日は、長野の山あいにある「ペンション・ノルディカ」まで、車でおよそ四時間半の遠距離移動を予定していた。初めて連れて行く長距離ドライブ。コタロウにとっても、わたしにとっても、未知の旅だった。
出発前にまずやるべきことは、食事のタイミングの調整だ。
出発直前に愛犬に食事をとらせることは避けるべきで、出発の二時間前を目安に食事をとらせるか、普段より少なめにしてあげるとよい。
コタロウは食いしん坊なので、少なめのご飯に不満そうな顔をしていたが、ここは心を鬼にした。ちなみに、わたし自身も前日の夜に「絶対に忘れない」と思って玄関に置いたはずのワクチン接種証明書を、出発五分前に部屋の引き出しの中で発見するという小さな失態を犯している。危なかった。
ドッグランやペット施設を利用するときには、一年以内の狂犬病予防接種証明書と混合ワクチン接種証明書が必要不可欠なので、忘れずに持っていく必要がある。
こういう書類は、旅の前日夜のうちにバッグへ入れておくのが正解だと、身をもって学んだ。
車に乗り込む前、コタロウを後部座席のクレートへ誘導する。ハスキー犬は体が大きいため、
大型犬にはペット用シートベルトで固定する方法も有効だ。
コタロウはクレートへすんなり入ってくれた。朝の涼しい空気のせいか、いつもより落ち着いている。毛並みに触れると、ほんのりとあたたかく、やわらかい。ダブルコートの厚みが、こちらの手のひらに伝わってくる感触がある。
高速道路に乗ってしばらくすると、エンジンの低い振動音が車内を満たした。
犬は車の揺れで酔ってしまうだけでなく、車内のこもったにおいにも敏感に反応して気分が悪くなってしまうことがある。
だから出発前に車内を換気して、芳香剤の類は一切置かないようにした。コタロウが鼻をひくひくさせながら窓の外の風景を追っている。その横顔が、なんとも真剣で愛おしい。
長距離移動では高速道路の利用がおすすめで、最近ではドッグランがついているサービスエリアも増えてきているため、人間も愛犬も休むことができる。
わたしたちは一時間半ほど走ったところで、ドッグラン付きのパーキングエリアに立ち寄った。コタロウはリードをつけたまま、緑の芝の上を元気よく走り回る。夏の朝の草のにおい、土の湿り気、遠くから聞こえるトラックのエンジン音。そういう五感の全部が、コタロウにとっての「外の世界」なのだと思うと、連れてきてよかったとしみじみ感じる。
少し遊ばせてあげると車の中では寝てくれやすい。
実際、休憩後にクレートへ戻ったコタロウは、しばらくすると静かに目を閉じ、均一な寝息を立て始めた。その音が後部座席から聞こえてくるたびに、なんとなく安心する。
気をつけたいのは、夏の車内温度だ。
夏に車で移動するときは冷房をつけて、温度は二十五度くらいに設定してあげるとよい。人間からすると少し寒いくらいが快適そうだ。
ハスキー犬はもともと寒冷地の犬種で、暑さには特に弱い。エアコンの設定温度をいつもより低めにして、コタロウのいる後部座席にも冷気が届くよう、送風口の向きを調整した。
走行中に窓から顔を出させることは道路交通法違反になる場合もあり、危険なので絶対にやめるべきだ。
コタロウが窓の外に鼻を近づけるたびに、そっとクレートへ戻すようにした。匂いを嗅ぎたい欲求は、休憩のたびに外で満たしてあげればいい。
急発進や急ブレーキは犬にとって大きなストレスになるため、できるだけ穏やかな運転を心がけることが大切だ。
山道に差し掛かると、カーブが続く区間でコタロウが少しだけ落ち着かない様子を見せた。ヨダレが増えていないか、呼吸が乱れていないか、後部座席をちらちらと確認しながら、速度を落として走り続けた。
ペンション・ノルディカに到着したのは、昼過ぎのことだった。駐車場に車を停め、ドアを開けると、山の空気がどっと流れ込んできた。松の香りと、涼しい風。コタロウはクレートの中で顔を上げ、鼻をぴくりと動かした。その一瞬の表情が、「ここはどこだ」と言っているようで、思わず笑ってしまった。
ハスキー犬との遠距離移動は、計画と準備がすべてだ。でも、それ以上に大切なのは、その子のペースに合わせて、焦らないこと。コタロウが教えてくれたのは、そういうことだったかもしれない。
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