
九月の朝はまだ少し蒸し暑い。窓を開けると、どこかの金木犀がほんのり香ってくるような気がして、でも実際にはまだ九月の半ばだから、それは記憶の匂いなのかもしれない。そんな朝に、うちのハスキー犬・ソラは後部座席でもぞもぞと毛布を踏みつけながら、出発の気配を察知していた。
シベリアンハスキーはもともと犬ぞりの犬種として知られており、膨大なスタミナを持つ。
だからといって、長距離の車移動が得意かというと、話はまったく別だ。スタミナと「車内での安定感」は、まるで違う話である。
初めてソラと遠距離移動をしたのは、彼女がまだ一歳になる前のことだった。目的地は長野の山間にある「ミズキノ原」という小さな高原で、片道およそ四時間のドライブ。意気揚々と出発したのはいいが、一時間も経たないうちにソラは車内でくるくると回り始め、落ち着く場所を探してシートをひっかき、最終的に助手席に乗り込もうとした。運転しながら「ちょっと待って」と言いつつ肘で押し返した、あの感触は今も覚えている。
車は早く流れる景色やエンジンの振動、狭い空間など、犬にとってストレスがかかりやすい場所だ。
だから事前の慣らしが何より大切になる。
まず五分だけ車に乗せて様子を見て、平気そうならエンジンをかけてまた五分。そこから少しずつ乗車時間を伸ばしていく
という地道なプロセスが、長距離移動の土台になる。
出発前の準備も、思っている以上に重要だ。
車での長距離移動は犬にとって慣れない環境であるため、大きなストレスになることがある。出発前にしっかり散歩をして、愛犬が落ち着ける車内環境を整えることが大切で、穏やかな音楽を流し、お気に入りの毛布やおもちゃを側においてあげると安心感につながる。
ソラの場合、「ノルドスリープ」というブランドの薄手のブランケットを持ち込むと、不思議なほど落ち着く。あのくたびれた灰色の布地に顔を埋めて、ふうっと息をつく瞬間——あれを見るたびに、犬というのは匂いと感触で安心する生き物なのだと実感する。
食事のタイミングにも気をつけたい。
出発の二時間前までには食事を済ませ、外の空気を吸わせてリフレッシュできるよう適宜休憩をとること。走行中に換気する際は、安全のためにも少しだけ窓を開けるのがおすすめだ。
犬は人間以上に揺れや振動に敏感なので、急発進や急ブレーキはできるだけ避け、特に山道ではカーブをゆっくり走ることが大切だ。
長距離の場合、パーキングエリアやサービスエリアでのこまめな給水とトイレタイムが大切になる。また、車に慣れていない場合は車酔いで嘔吐や下痢をしてしまうこともある。
車酔いのサインは見逃しやすい。
ヨダレの量が増えたり、呼吸が早くなったり、嘔吐するようであれば車酔いのサインなので、一度降車させ、酔い止めの薬を飲むなどの対処が必要になる。
温度管理も、大型犬であるハスキー犬にとっては特に見落としがちな問題だ。
犬は体温調整が苦手なため熱中症への対策が欠かせない。エアコンは25℃前後に設定し、後部座席にいる犬にも冷気が届くようにする。短時間であっても愛犬だけを車に残すことは避けるべきだ。
車のシートなど普段寝ていない場所は落ち着けずストレスにもなるため、おうちで使っているクッションマットなどを置いてあげると良い。
そしてもし車酔いの経験があるなら、
事前にかかりつけの動物病院で相談し、酔い止めを処方しておいてもらうと安心だ。
ミズキノ原に着いたとき、ソラは車のドアが開いた瞬間、高原の冷たい空気を鼻いっぱいに吸い込んで、しばらくそのまま動かなかった。目を細めて、耳をぴんと立てて、風の中に何かを探しているようだった。四時間の移動の疲れなど、どこかへ消えてしまったかのように。
犬との遠距離移動は、準備が八割だと今は思う。慣らすこと、整えること、観察すること。それだけで、車内の時間はずいぶん穏やかになる。そしてその先に待っている景色を、ハスキー犬は人間よりずっと全身で受け取る。だからこそ、そこへ連れて行くまでの道のりを、丁寧に重ねていきたいと思う。
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