
玄関のドアを開けた瞬間、六月の空気がどっと流れ込んできた。湿気を含みながらも、どこかまだ清々しさを残したあの朝の空気。梅雨の晴れ間というやつは、こんなにも突然やってくる。
リードを手に取った瞬間、ユキはもう玄関先でくるくると回り始めていた。シベリアンハスキー犬らしい、あの全身で喜びを表現するやつだ。尻尾がプロペラのように回転し、分厚い被毛がふわりと揺れる。体重二十三キロのくせに、まるで子犬みたいな騒ぎ方をする。いい天気の朝だけ、こうなる。なぜかはわからないが、ユキは空の色を読んでいると、わたしは本気でそう思っている。
散歩コースはいつも決まっていた。自宅のある住宅街を抜けて、「ミドリ野緑道」と地元で呼ばれる遊歩道に入り、川沿いを三十分ほど歩くルートだ。舗装された道の両脇に、名前も知らない白い小花が咲き乱れている。踏み出すたびに、草の青さと湿った土の匂いが足元から立ち上がってくる。
ユキは前を行く。いつも、少しだけ前を行く。引っ張るというより、確認するように。振り返っては進み、また振り返る。
飼い主が散歩に連れていくというよりは、迷子にならないよう付き添っているというような感覚
、とどこかで読んだことがあるけれど、まさにその通りだとつくづく思う。主導権は最初からユキにある。
朝の七時を少し過ぎた頃、緑道に差し込む光がやわらかい。木漏れ日が地面に丸く落ちて、ユキの白と灰の被毛の上でちらちらと揺れている。目を細めてそれを見ていたら、子どもの頃に通っていた小学校の裏山を思い出した。夏休みの早朝、母親に連れられてラジオ体操に行くとき、あの山道に差し込んでいた光と同じ色だった。何十年も経つのに、光の角度というのは人の記憶を正確に引き出す。
ユキが急に立ち止まった。川沿いのフェンスのそばで、鼻をひくひくさせている。何かの匂いを嗅ぎつけたらしい。ハスキー犬はこういうとき、絶対に動かない。世界中の人間が待っていても、自分が納得するまでは一歩も動かない。
好奇心旺盛な一面があり、ほかのことに気が向きやすい
のは散歩中も同じで、わたしはリードを持ったまま、ただ空を見上げていた。いい天気だった。本当に、惚れ惚れするほどいい天気だった。
しばらくして、向こうから小学生の男の子が自転車でやってきた。ユキを見た瞬間、その子の目が丸くなった。「オオカミだ!」と叫んで、そのまま自転車ごと草むらに突っ込んでいった。転んではいなかったが、なんとも言えない間が流れた。ユキはといえば、その一部始終を青い瞳でじっと見届けてから、何事もなかったように再び歩き始めた。心の中で「君のせいだよ」と軽くツッコんだのは、言うまでもない。
外見からはワイルドなイメージを持たれがちだが、実際はとても人懐っこく、友好的な気質を持っている
のがハスキーというものだ。あの凛々しい顔立ちと、青か茶かさえ個体によって異なる瞳の色。それが「オオカミ」に見えてしまうのは、まあ仕方のないことかもしれない。
川の水面がきらきらと光っている。風が吹くたびに、川岸の葦がさらさらと音を立てた。ユキはそちらに鼻を向けて、深く息を吸い込んでいた。肺いっぱいに朝の空気を取り込んでいるような、その仕草が好きだ。
夏場は涼しい早朝に時間をずらす
のが鉄則で、この時間帯の散歩は、ユキにとっても、わたしにとっても、一日のなかでいちばん清々しい時間になっている。
帰り道、ユキは少しだけ歩調を落とした。走り回ったわけでもないのに、満足したときのあの独特の落ち着きが出てくる。リードを通して伝わってくる重さが、少しだけ変わる気がする。気のせいかもしれないが、毎朝そう感じる。
玄関前に戻ったとき、ユキはぴたりと止まり、わたしの顔を見上げた。何も言わない。ただ見ている。その青い瞳の中に、今日の朝の光が映っていた。いい天気の散歩は、いつもこうして終わる。ドアを開けながら、明日もこんな空であればいいと、わたしは思った。
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