
夏の朝、まだ空気がひんやりしている午前6時ちょうど。玄関のドアを開けると、ハスキー犬のクロは既に準備万端とばかりにリードをくわえて立っていた。今日は片道約350キロ、長野の山あいにある「アルペンノース高原」まで向かう予定だ。車のトランクに荷物を積み込みながら、ふと去年の失敗を思い出す。あのときは水を持っていくのを忘れて、高速のサービスエリアで自販機のミネラルウォーターをペットボトルごと差し出したら、クロは一口飲んでそっぽを向いた。犬にも好みがあるらしい、と心の中でひそかにツッコんだ記憶がある。
中型犬や大型犬の飼い主にとって、車は最も現実的な移動手段だ。
ハスキー犬のような大型犬を連れて電車や公共交通機関を利用するのは難しく、車移動が基本になる。だからこそ、遠距離移動の前に知っておくべきことがいくつかある。
まず、車内の温度管理は絶対に妥協できない。
犬の適温の目安は21〜25℃とされており、クレートやキャリーの中は熱がこもりやすいため、愛犬の様子をこまめに確認し、車内の温度や空気の流れを調節する必要がある。直射日光が当たると体温調節が難しくなるので、サンシェードなどで日除けをするとより快適に過ごせる。
ハスキーはもともと寒冷地の犬種で、暑さへの耐性が低い。夏場の遠距離移動はとくに慎重に。エアコンの風が直接当たりすぎないよう、角度にも気を配りたい。
車は流れる景色やエンジンの振動、狭い空間など、犬にとってストレスがかかりやすい場所だ。
いきなり長距離を走るのではなく、短いドライブから少しずつ慣れさせていく過程が大切になる。
ヨダレの量が増えたり、呼吸が早くなったり、嘔吐するようなら車酔いのサインで、一度降車させ、酔い止めの薬を飲ませるなどの対処が必要だ。
クロも最初の頃は後部座席で小さく丸まって、ときどき不安そうにこちらをちらりと見上げていた。あの目が忘れられない。
高速道路の移動中、
パーキングエリアやサービスエリアでのこまめな給水やトイレタイムが大切になる。
目安は2時間に一度。車を停めてドアを開けた瞬間、クロは勢いよく飛び出し、草の匂いを全身で吸い込むようにくんくんと鼻を動かす。アスファルトの熱とは全く違う、緑と土の湿った香り。その一瞬の表情が、どこか誇らしげで、こちらまで深呼吸したくなる。
持ち物はできるだけ使い慣れたものを揃えておくことが大切で、慣れない環境に加えて新しいグッズに愛犬が戸惑ってしまうこともある。
クロのお気に入りは、少しくたびれた水色のブランケット。どのインテリアショップにも売っていないような、洗いすぎてくたくたになった一枚だ。それをクレートに敷いてやると、クロはすぐに顎をのせて目を細める。安心の匂いが染み込んでいるのだろう。
ドッグランやペット用施設を利用するときには、1年以内の狂犬病予防接種証明書と混合ワクチン接種証明書が必要不可欠で、ワクチンの接種期限が1年を過ぎていないかどうかの確認も必ずしておく必要がある。
書類の確認は、出発前夜にリストを作って済ませておくのが確実だ。旅先でバタバタするのは、犬にとっても飼い主にとっても消耗する。
出発前に愛犬の体調が悪いようなら少し様子を見てあげること。出発時間や休憩などを自由に決められるのも、車移動のメリットだ。
スケジュールに縛られすぎず、クロのペースに合わせて動く。それが遠距離移動を「旅」にするか「消耗」にするかの分かれ目だと思っている。
アルペンノース高原に着いたのは、夕方の光がオレンジ色に傾きかけた頃だった。クロは車を降りた瞬間、高原の風を全身に受けて、しばらく動かなかった。耳が少し後ろに倒れて、目が細くなって、尻尾がゆっくりと揺れていた。その横顔を見ながら、350キロ走ってきてよかった、と思った。ハスキー犬との遠距離移動は大変だけれど、その先に待っているものが、ちゃんとある。
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